山の事はぼちぼち、家族の状況などのよもやま話です。
長野ならではの情報発信や第2の故郷?(カメだけに)の海や地球の環境の事も
書いていければいいなあと思います。

2010年11月24日水曜日

11/3~6 屋久島

 屋久島に行ってきました。
飛行機からはてっぺんだけ冠雪した富士山や南アルプスがきれいに見え、良いフライトでした。





 鹿児島空港では、次に屋久島まで載る小さなプロペラ機の向こうに、右は高千穂、左は韓国連峰とここも眺めは最高でした。
で、屋久島までの間は開聞岳や噴火の続く硫黄岳なども見られました。
屋久島では3年前にはなかった携帯トイレの案内などが出ていましたが、この地図は登山口にあり、ここで携帯トイレを購入する事は出来ないし、 もっと根本的な対策が必要だと思いました。
100人位が寝泊まりしている小屋にトイレはたったの一つです。
そのトイレもあふれていて使えたものではないし、トイレ以外の所で平気でしている人も多いようです。
これが世界遺産?
世界遺産ではなく世界の恥です。
 1日目は何とか淀川小屋に全員入れて焼肉をして盛り上がりました。
翌日豆腐岩の乗る高盤岳や黒見岳を見ながら投石平まで来ましたが、あまりの人の多さに今日どうやって泊まるか作戦を練っているのが、石の上の写真です。
ほぼ絶望に近いです。
宮之浦岳の手前には水がわきコケが生え湿原ではないけれど湿地帯の様な所があります。
自分の好きな場所です。
ニュージーランドにも似ていて、あっちは山の上に湿原が良くあります。
ちょっと思い出されて癒される場所です。
いよいよ宮之浦岳ですが、人が多い。
なんなんだこの混雑は!!
3年前なんかほとんど貸し切りだったぞ。
ここ1,2年で屋久島にはいる人間がかなり多くなったそうです。


案の定、次の新高塚小屋は満杯で入れず全員テントかツェルトに寝るはめに。小屋に40にん入ったとしてテントも15~20張りはあったので何人ここにいたんだろう。たぶん100人位はいたと思います。
そんななかやっとこさ見つけたテントの張れそうな場所に居座るヤクシカです。
ここは俺のねぐらだと言わんばかりにどいてくれません。
なんとか追い出し、テント2つツェルト2つをはり、夕食もそこそこにみんなで寝床に。
実は小屋の真前に良い平らな場所があったのですが、あきらかにきじ場になっており匂いがひどくて誰もテントを張っていません。
 これが世界遺産なのでしょうか?
小屋から水場までの道の上もびっしり出し、ロープをはみ出している人もいます。ほとんど無法地帯です。
本当に世界遺産の名前を返上して、世界遺産の恥とかなれの果てという事で、世界にこの状況を発信した方が良いです。
ミシュランみたいにいちど三つ星になっても次の年は落ちるような制度にした方が良いと思います。
本当に世界の恥です。

この黄色いのがツェルト組です。ガイド2人と、果敢にも12期の2人が寝ました。
でも雨も降らず風も弱く、寒くもなく良い条件だったのが何よりです。
なので、ツェルトとの方が結露もせずに(外気が隙間から入るので)良かったかもしれません。
テントの方すみません。


縄文杉も3年前は貸し切りで誰もいなかったのに、今回はもう混雑。
でも何回見てもおおらかな気持ちになります。
 ハート型に見えるのはウィルソン株の中のある場所から映すとこうなるそうです。でも昔はここの水も飲めたそうですが、今は人が多すぎて、汚れてしまったそうです。
珍しく大株歩道の方のトロッコ軌道にトロッコが来ていました。
この先の建物がトイレです。
このトロッコとはこの後抜きつ抜かれつのデッドヒートをしながら歩きました。
途中ショートカットできる所があって抜けそうだったのですが無理でした。
ここは白谷雲水峡(もののけの森)のくぐり杉です。
大きいザックにはちょっとつらかった。



実は縄文杉とニュージーランドのカウリという木の最大の樹は姉妹関係を去年結んだそうです。タネ・マフタという木ですが。
ニュージーランドでは唯一の針葉樹で、まっすぐでじょうぶなため、くりぬいてカヌーにしたりして原住民のマオリ族は使っていました。
しかし200年前に西洋人が入ってくると建材としてそのほとんどを切ってしまいました。
今残っているのはその4%に過ぎません。
このように同じような事が遠く離れた国でも起こっていたのですね。
しかもニュージーランドには200年前までダチョウのお化けのような高さ5m以上の飛べない鳥もいましたが、この200年であっという間に絶滅しました。
そんなカウリの巨木も今度のニュージーランドのツアーでは見に行けますので、是非ご参加お待ちしています。(いきなり宣伝)


最後はガジュマロの樹です。空中から気根という根をおろして着地して、横に伸びていく木です。1箇所にいると養分が少なくなるので違う地面に動いていくとも言われています。
まさに歩く木です。
といった島内観光をして帰ってきました。
でも、縄文杉とカウリが姉妹協定を結んでいたのは知らなかったです。

2010年11月3日水曜日

高松・シダンゴ、百蔵山、岩練三つ峠、百蔵山、下の廊下、満観峰、霧ヶ峰、一気にアップ

 10月19日は高松・シダンゴ山で読図をしました。
北への正置は皆さんだいぶ出来ていました。
でもなかなか難しいですね。

20日は新宿校基礎クラスの百蔵山。
雨で滑りやすい為西側の道のピストンとしました。


21,22日は岩練三つ峠で下が2日とも雨の為インドアでした。
 特に写真が無いのでSガイドの写真を使ってしまいました。
すみません。
飲んだ後、部屋に連行されていく所です。




23日は屋久島のトレーニング山行で檜洞へ。
沢は台風の影響で荒れていました。
でも紅葉も上の方は始まっていてきれいでした。




24日は横浜校の基礎クラス百蔵山。
今回は周回コース。
良い練習ができました。
 




25~27日は北アルプスの黒部川・下の廊下。
信濃大町の駅前のラーメン屋は、野菜増しましトッピングが無料でものすごい事になっていました。ラーメンというより、パフェの勢い。
 廊下自体は紅葉もちょうど良く目の高さで素晴らしかったです。
雨もひどくなくそんなに濡れなかったです。
 意外と雪渓は消えていて、支流の雪渓はなく本流に少し残る程度。
でも雪渓が残っていなくても秋道が崩れたり崩落しそうで、高巻く場面が何度かありました。そのうち絶壁を人力で掘りこんで道に下コの字型の通路が増えてきて、川床からの高さも上がってきました。
歩く所は1m位の幅がありますがその上も下も絶壁。良くこんな所を道を削って作ったものです。
当然上からの滝を浴びなければならない所もありました。
昔はブルーシートで屋根がつくってあったんだけど壊れたかな?
橋みたいなのは、上がトロッコの橋で下は黒4地下発電所から出た
水を新第3黒部発電所に送る送水管です。この橋の左のトロッコトンネルが、高熱隧道です。このトロッコは黒4地下発電所まで行っていて、そこからインクライン(エレベーター)で少し上がり、トンネルで黒部ダムまでつながっているのでそこは車で行く事が出来ます。
なので黒4地下発電所の見学会に参加すれば歩くことなくこの3日間の部分を通る事が出来ます。しかしほぼすべてトンネルです。

阿曽原で温泉につかって寝た後は何と雪が積もっていました。
下廊で雪は初めてです。
 

雪の重みで道に木が垂れさがって来て歩きにくいことこの上ない。
昨日までずっと同じペースでいたもう一つの25人ツアーは、こういう時こそ先に行って欲しかった。ラッセル泥棒ならず、雪払い泥棒?

途中の沢の下にはトロッコのトンネルの横抗や、荷揚げの架線の跡が残っています。


昔丸太岳をかけて、道を削ろうとした鉄の杭の痕とかもありますが、ここは岩がもろかったらしく、途中まで道を作った物のトンネルになっています。


最後の方は晴れてきて、紅葉と雪と青空がきれいで、後立山の稜線も見えてきました。奥鐘山も見事な三段紅葉でした。



28日はいきなり雪とは程遠い静岡の満観峰。
雨でしたが楽しみながら歩けました、巻き道や枝道が多く読図にはもってこいかも。




11月1~2日は9期山行で霧ヶ峰。
初日はビジターセンターで学んだ後、八島ヶ原湿原と旧御射(もとみさ)山遺跡を見て回りました。
この日の宿はヒュッテジャベル。
 フランスの登山家であり文筆家のジャベル氏から中島喜八氏がつけられた名前で、先代も今のオーナーも文筆家。南極の越冬隊にも行かれていていろいろお話を聞きたかったのですが、疲れてダウン。

翌日は車山や男女倉山という霧ヶ峰火山を満喫しました。
ビジターセンターでよく見ておいたので実感がわきました。
しかし冬型が強く、風強く寒い。体感温度は多分-5℃以下。
宿で暖まりなおして帰路に。




 途中の夕焼けは家のそばからです。
この前は地面から地面に繋がり、少し二重にもなっている虹も見えました。ニュージーランドみたいです。


今日はこれから乗り合いタクシーで羽田に行って、8時の飛行機で屋久島に行き、今日の夜には屋久島の避難小屋にいる予定です。
山が続いているのはいいのですが、移動距離が半端でないです。
今日の霧ヶ峰は最後雪降ってきたのに。












2010年10月14日木曜日

10/6 米沢山~笹子雁ヶ原摺山

 笹子駅からではなくトンネルの反対の甲斐大和の駅から上記の山に登りました。こちらの尾根は送電線の巡視路がありほぼどの尾根も登れます。
また植林帯が少ないのも魅力です。
ただし急登で、土の中に10cm台の岩が混じっており登りづらいです。
登りは読図をしながら気を付けて登ります。米沢山から笹子雁ヶ原摺山までの下りの鎖場には巻き道が出来ていました。
下りの尾根がこのあたりで唯一と言っていいほどなだらかな尾根で巡視路としても階段などが整備されていて下りやすいです。
下山して、道の駅で食料を調達して風呂に向かいます。
食堂の営業が早く終わってしまうので。
もうちょっと遅くまでやってほしい所です。

10/11~12 東吾妻山

 11日は3連休の最終日とあって、福島駅から浄土平に向かう道路が混雑。ちょっと時間がかかってしまったので予定を嬉しい事に?変更して、浄土平から宿まで歩かずにバスで移動する事に。
まずは吾妻小富士に登りますがすごい混雑です。小富士のお鉢の中も草紅葉でした。
最初ガスが多かったのですが一周する頃には晴れてきて、反対に対峙する一切経山の噴煙もきれいに見えてきました。

浄土平に戻り、今度は湿原を歩いて桶沼を見に行きました。桶沼は沼のほとりが丸く盛り上がっておりその部分の紅葉が見事でした。
 また湿原を通ってバスに乗り宿へ。
宿は秘湯の湯を守る会の宿で、風呂場が3か所。1か所は野天風呂。もう1か所は半露天で檜の大木をくりぬいた切り株の形の物を2つくっつけた湯です。もう1か所にも露天がついていました。
ゆっくり風呂に浸かった後、美味しい食事を頂きました。

翌日は宿から直接歩いて昨日の浄土平方面に向かいます。あまり歩かれていないようで籔っぽく露払いとなりましたが、途中から東吾妻山に登る道になり、整備された道になりましたが泥で滑りやすかったです。
 山頂手前には湿原があり、その後も火山帯特有の池があったり、火山灰の上の湿原などがあり、山の上に湿原が多くある風景はニュージーランドに似たものがあり、懐かしかったです。
しかも紅葉・草紅葉の中。避難小屋も見えまさにニュージーをトランピングしているようでした。(ニュージーではトレッキングの事をそう言います)
一切経山からは魔女の瞳(五色沼)が見え、陽が出ると色が変わり素晴らしかったです。
手前の湿原などでだいぶゆっくりしたのと歩きにくい所があったので、ここから浄土平に下山して、高湯温泉に向かいました。
 白く濁った良い温泉でした。
福島に戻り、駅で弁当を買い込み新幹線に乗り帰路に。
しかし自分は長野に行くのになぜか大宮に。ここまで来ないと長野新幹線に乗り換えられないのです。無念。