山の事はぼちぼち、家族の状況などのよもやま話です。
長野ならではの情報発信や第2の故郷?(カメだけに)の海や地球の環境の事も
書いていければいいなあと思います。
2015年6月9日火曜日
ある日曜日
テキサスから4人のクリスチャンが来て礼拝などをしました。
クリスチャンでもないのに、テキサスから来た
クリスチャンが次の日に帰るというのでお邪魔しました。
礼拝の後は親子丼を頂き、談笑。
その後はセミナーだったのですが、息子が
耐えられそうもないのでおいとましました。
その後、今シーズンスキーで知り合った子が
飯縄東高原に来てるというので、お邪魔しました。
大型遊具で遊んだり、サッカーボールや
フリスビーで遊んで、スライダーやった後、最後に
100円入れて動く車に乗って「無賃乗車」
して、後ろから押すという暴挙に出てる所です。
係の人も気づいてるだろうけど、静観してくれました。
ここは芝生が広い上に湖の畔なので、癒されます。とても気持ちのいい所です。
2015年6月5日金曜日
善光寺あるある
過去に使われた回向柱が建てられています。
自然と土に帰っていくそうです。
10本あったから、60年分か。
古いのは材の中から、草が生えてます。
この近くに眼が良くなるお地蔵さんや
脚の良くなるお地蔵さんがいます。
今の本堂から200か300メートル手前に7世紀から約1000年本堂があった所がひっそりとあります。
この向かいに寝釈迦仏の世尊堂があります。
善光寺は極楽浄土。世尊堂は現世のお願いを聞き入れてくれるところです。
せっかく来たならぜひ両方お詣りしてください。
それ以外にも、荒れていた善光寺を立て直すために源頼朝が善光寺に来た時にある橋で振り返って、鶴岡八幡宮の方を見て祈った橋は鶴賀橋、住所は鶴賀。
流れてる川は八幡川です。
参道をもっと登ると、仲見世の終わる所に駒がえし橋があります。
穴が開いていて、その穴に頼朝の乗った馬の脚がはまってしまい抜けなくなったため、そこからは馬を返して歩いたそうな。
善光寺はいろいろ御利益があったようで、そういう方から絵馬が奉納されたり、そういうエピソードをたくさん描いた絵解きというものがあり、絵を使いながら、善光寺信仰の一端を寺などで説いてくれます。
長野に移住して15年。何も知らずに
のほほーんと生きてました。
早くから知っていれば、山に登るときもいろいろ
興味のある物があったのに、見落としていました。もったいないな~。
下の写真は善光寺の前立本尊の厨子の扉が
閉じられる夕座法要が終わったら、すぐに片付けが始まりました。
なんかあっけないな。
空いていれば車で10分位なので、今年は目茶苦茶通いました。でもいろいろ造詣が養えてよかったです。
ちなみに、御開帳で見られるのは、善光寺式阿弥陀如来像の前立本尊です。
本尊は絶対秘仏であり、僧侶でさえ見たとか見ないとかです。
善光寺式阿弥陀如来像というのは1つの後光の前に、中央に阿弥陀如来
右に観音菩薩、左に勢至菩薩がいるものです。
善光寺御開帳記念展示
市立博物館で、善光寺記念の特別展示
がありました。
非常に興味ある内容でした。
展示の事をまとめた本ですが、飯縄大権現や
善光寺、黒姫を除く北信五岳への信仰。
は7世紀には始まっていたようです。
飯綱は戸隠の修験と深く関わりがあったようで
狐の上に天狗が乗っています。この表紙の像は
つい最近まで寺の倉の中で眠っていたそうです。
銘文がある像としては最古の物だとか。
長い事戦の神としてあがめられていたのが、
江戸の平和な世界になると、病治の神として
受け入れられます。
同じく善光寺も女人の願いを受け入れてくれるとして、
お伊勢参りか、善光寺かというものだったみたいです。
でも一番びっくりしたのは、飯縄大権現は
中世の天皇即位の義の前に必ず新天皇に
その教えなどを説くなど、また上杉、武田、
等の武将もかなり影響を受け、当時の書に
印文が押されるなど、今までのほほーんと
登っていた山が実はすごい事になっていたんだと
いろいろ興味深い展示でした。
最終日だけど行ってよかった。
教会でピニャータ
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