山の事はぼちぼち、家族の状況などのよもやま話です。
長野ならではの情報発信や第2の故郷?(カメだけに)の海や地球の環境の事も
書いていければいいなあと思います。

2015年2月11日水曜日

善光寺七福神巡り



 今までやった事無かった七福神巡りをガイドの人と一緒に行おうと思い、まずは待ち合わせ場所の長野駅観光案内所へ。
すると久々の駅は、新幹線延伸で外も中も様変わり、すごく綺麗にお洒落に変わっていました。
また、すごい人。どうも新型新幹線の無料搭乗会があったようです。
まずは絵解きの寺としても有名な刈萱山西光寺へ。寿老人があります。そして当然絵解きも聞くことができますが、今回はパス。
 それから、中央郵便局の駐車場脇にある大黒天に。ここからは、県庁の隣を流れる裾花川の対岸にある東山が望めます。その中腹にある丘を大黒丘と呼んでいたので、ここに祀られる事になったそうです。
 次に向かう途中善光寺参道にかかる鶴賀橋と言う橋に行く前にあるこの写真の横に出た杭は船着き場の跡です。ここは八満(はちまん)川の上(今は道路の下を流れている)です。昔、源頼朝が善光寺参拝に来た際に休みながら、口を漱ぎ鎌倉の方を振り返り八幡宮の事を拝んだというので、その名前に。
 次の秋葉神社は福禄寿。そのすぐ隣に十念寺があり立派な金の仏様が。
 長野で一番立派な金の仏像だそうです。
 その入り口にはちゃんと頼朝の字が。ここで頼朝が紫の雲と虹を見たため、ここに寺を作るよう言われたそうで、紫雲山という山号になったそうです。
次は権堂商店街の脇にある往生院の弁財天に。ここだけ何故か女性である。
頼朝の命で善光寺が再建されたり、5回の大火でご本尊の阿弥陀如来係に安置された寺で、仮堂と言われた事が、ここが権堂と言われる起源だそうです。
そして鎌倉時代には善光寺参りの精進落としの花街として栄えた事から、今に至っているようである。
 数年前まで旅館を営み、今はレストラン、パブ、結婚式場などとして栄える(藤屋御本陣)THE FUJIYA GOHONJIN の中にあり、今はその建物の前に置かれている布袋様。
もう善光寺は目の前ですが、参道をそれた所に西宮神社があり、恵比寿様がいます。冬にえびす講があり、その時今では犀川の畔で盛大に行われる冬の名物詩の花火大会は、昔はこの裏で行われていたと言う。
 最後は毘沙門天です。善光寺は無宗派全ての人にその門を開いていますが、住職は天台宗の大勧進貫主と尼寺である浄土宗大本願上人の二人が務める。天台宗大勧進の宿坊は~院で、浄土宗大本願の宿坊は~坊で、それぞれにご本尊と住職がいる。
その世尊院の横たわる涅槃像の脇に毘沙門天は鎮座する。
しかし滅多に拝めない。灯明まつりと御開帳の時くらいかなあ。
しかし、善光寺本堂はご本尊には住職でさえ見る事がほとんどないそうだ。御開帳でも見る事ができるのは前立本尊だ。これをご本尊と自分は間違っていた。
今度一回宿坊に泊まり、お朝事等も含め体験したいものだ。
そして善光寺で御朱印を頂き、七福神巡りは終了だ。
灯明まつりと御開帳が待ち遠しい。
また、前回の地震の折には長野市内に被害が及ばぬように善光寺境内の灯篭や鐘楼の土台が被災したとも言われています。下の写真のコーンがあるあたりです。1枚目が山門、2枚目が本堂です。


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